ジンジャエールを飲みながら

大都会の片隅で働くしがないウェブ屋が、ウェブと全然関係のない読書とかアニメとかの感想を書き連ねるメモブログです。

メモ:モードレッドの扱いが時代と共にどう変わったのか考察したい

『いかアサ』で「モードレッドが脚光を浴びるようになったのは20世紀から」という記述があった。(P99)ので気になったこと。

 

モードレッドの扱い、時代によって違いそうだよなぁ…

予想だけど、家父長制の時代だと100%の悪でしょ。

それが20世紀にはサトクリフ先生みたいに「モルドレッド推しです!」って物語を書く人も出てきて…。いや、サトクリフ先生のモルドレッドくんは100%悪役なんだけど、とてもとても魅力的な悪役なんだよ…妖艶で美しくてどこまでも孤独で。

ひかわ玲子の扱いも気になる。主人公が想いを寄せる相手らしい。

コードギアスで「モルドレッド」パイロットの子も、《円卓を終わらせる者》だけど、けっして悪役ではない…というか、ギアスでは円卓そのものが正義ではない。
《母親》に利用された子、という意味ではとても私のイメージするモードレッド像に近い(本人の母親ではないけれど、作中における母性の象徴みたいな人だから…)

そのあたりのイメージの変遷、誰かまとめてくれないかな…。(人頼み)

いや自分でまとめるしかないかもしれない。。。

 

マロリー版だと、魅力も何もそもそも見せ場ないし…って感じなんだけど、悪役を魅力的に描く、ってのがそもそも近代以降なのかな?

とりあえずユゴー先生は悪を悪と定めず魅力的に描いているけれど。。

もしかして悪役を魅力的に描くの、フランス革命キリスト教と善悪の概念がリセットされて以降だったりするんだろうか…?